2008年11月12日水曜日、自宅で新聞を読んでいた。
「ところで今日は、戦争犯罪を裁いた東京裁判の刑の宣告から60年になる。文官では元首相の広田弘毅ひとりが極刑になった。軍に効しきれなかったとされる宰相の悲運は、文民統制なき時代の暗部を伝えてもいる。」
航空自衛隊トップの「論文問題」を取り上げた天声人語の締めの一説である。「文官でひとり」というところが心にひっかかった。

 広田弘毅について無性に知りたくなり、城山三郎氏の『落日燃ゆ』を読んだ。広田弘毅の生涯が史実をもとにして抑えた表現で書かれていた。

 激動の時代に首相、外相を歴任し、統帥権の独立により暴走する軍部に翻弄されながら、戦争回避に努めるが、日本は開戦に向かっていく。その様子が淡々と書かれており、読みながらどうしようもなく不安な気持ちにかられた。

 東京裁判からそれ以降の章では、広田が戦争責任を自ら認めながら、自己弁護をしない覚悟が鮮烈に書かれていた。面会に来た家族には「かんじんの連中はみんな自殺したりしてしまったからね。無責任だよみんな」「この裁判で文官のだれかが殺されねばならぬとしたら、ぼくがその役をになわねばなるまいね」と記されている。その後妻は判決を前にして自害している。夫の生への未練を少しでも軽くしておくためだという。なんとも悲しくやりきれない話である。 

 1948年(昭和23年)11月12日金曜日、広田弘毅は「絞首刑」の判決を受ける。絞首刑の判決を受けた七人中六人までが軍人で、いずれも判事団の票は七対四で死刑に決した。ただ一人の例外が、文官である広田で、票決は六対五のわずか一票差による死刑であった。広田の死刑を不当として減刑嘆願の動きが高まり、多くの署名が集まったそうであるが、再審請求は却下されている。

 1948年(昭和23年)12月23日木曜日、死刑が執行された。最後の数ページは感極まって涙で活字が読めないほどであった。読み終えた後しばらくの間はぼ〜っとして抜け殻のようになっていた。

 その後、数日して、服部龍二氏の『広田弘毅「悲劇の宰相」の実像』を読んだ。城山三郎氏の『落日燃ゆ』は昭和四十九年の作品であるが、服部龍二氏の『広田弘毅「悲劇の宰相」の実像』は平成20年の作品であり、『落日燃ゆ』によってつくられたといっても過言ではない日本人の中の広田弘毅像と広田弘毅の実像は違うのでないかというところから細かな資料に基づく分析がされており、読み比べるとかなり印象が違う。

『落日燃ゆ』では鮮烈な印象を受け、人間味あるれる部分が多く感じられるが、『広田弘毅「悲劇の宰相」の実像』では、気力の萎えた妥協心の強い印象を受ける。
しかし、どちらも興味を引く内容であり、とても勉強になった。

 自分としては、城山三郎氏が、広田弘毅を通じて、「長州の作った憲法が日本を滅ぼす」と記しているように、明治以降の日本史検証の総括を行ったように感じる。

 「そうか、もう君はいないのか」しか読んだ事がない私にとって、城山三郎氏の伝記小説のすごさを実感した貴重な一冊との出会いであった。

ps.靖国神社訪問記