尊厳回復の碑 8月の中旬、東村山市に用事があり、帰りに多摩全生園の前を車で通った。
以前電車の中で見た、国立ハンセン病資料館の中刷りがふと頭をよぎった。
せっかく近くまできたのだから寄ってみようと思い、初めて多摩全生園の中に入った。
 正門から入るとすぐに施設全体の地図があり、敷地内はとても広い事がわかった。国立ハンセン病資料館の場所を確認し、売店出張所の駐車場に車を停めた。
 左右の居住区の間の中央通りと呼ばれる道を東側へ歩いた。けたたましいほどの蝉時雨の中歩みを進めると納骨堂が見えてきた。

 何気なく納骨堂の側に目を移すと「尊厳回復の碑」と書かれた比較的新しい碑が建てられており、ハンセン病に対する偏見や差別の根深さを象徴しているなあと感じた。

 その後国立ハンセン病資料館でハンセン病の歴史の一端に触れる事ができた。

という事で今回は

ハンセン病って何!

 ハンセン病と聞いて皆さんまず何を頭に思い浮かべますか?まず私が思い浮かべるのは、昔はらい病と呼ばれていた事。人に感染すると言われていた事。多くの人が隔離をされていた事などです。熊本県の温泉ホテルがハンセン病の元患者の宿泊を拒否した事件がニュースで取り上げられたのは平成15年(2003年)で比較的最近の出来事でした。

 思い浮かぶのはそれくらいで、ハンセン病に関することは良くわかりません。実際はどうなんでしょうか?
国立ハンセン病資料館の資料を参考にしながら調べていきましょう。


● ハンセン病ってどんな病気でしょうか?

ハンセン病の症状 ハンセン病は「らい菌」に感染する事で起こる病気です。感染すると手足などの抹消神経が麻痺したり、皮膚にさまざまな病的な変化が起こったりします。早期に適切な治療を行わないと、手足などの抹消神経に障害が起き、汗が出なくなったり、痛い、熱い、冷たいといった感覚がなくなることがあります。また、体の一部が変形するといった後遺症が残ることもありました。かつては「らい病」と呼ばれていましたが、明治6年(1873年)に「らい菌」を発見したノルウェーの医師・ハンセン氏の名前をとって、現在は「ハンセン病」と呼ばれています。


● 人に感染するのでしょうか?

ハンセン病新規患者数 「らい菌」は感染力が弱く、非常にうつりにくい病気です。発病には個人の免疫力や衛生状態、栄養事情などが関係しますが、たとえ感染しても発病することはまれです。現在の日本の衛生状態や医療状況、生活環境を考えると、「らい菌」に感染しても、ハンセン病になることはほとんどありません。(日本人新規患者数:2007年1人、2008年3人、2009年0人)

 しかし、いまだに新規の患者さんが数千人規模にのぼる国もあります。公衆衛生や栄養状態、経済状態の悪い国々です。これらの国では子供でも発病することがあるため、早期発見と治療が課題になっています。


●  治療法はあるのでしょうか? ハンセン病は治るのでしょうか?

 1943年(昭和18年)、アメリカで「プロミン」という薬の有用性が判明し、日本でも1946年(昭和21年)からプロミンによるハンセン病の治療が始まりました。現在主流となっているのは「多剤併用療法」で、3種類の抗生物質を併用します。この治療法により「らい菌」は短期間で感染力を失います。ハンセン病は薬で治る病気ですが、早期発見・早期治療が大切であることはいうまでもありません。また、安定した状態で治療するためにも、治療薬を毎日確実に服用し、耐性菌を作らないようにすることが重要です。多菌型(らい菌が多い)の患者さんは1年から数年、少菌型の患者さんは6ヶ月程度薬を服用することで治癒します。


●  なんで隔離されたのでしょうか?

 19世紀後半、ハンセン病はコレラやペストなどと同じように恐ろしい伝染病であると考えられていました。当初は、家を出て各地を放浪する「浮浪らい」と呼ばれる患者さんが施設へ収容されました。やがて自宅で療養する患者さんも収容されるようになりました。ハンセン病と診断されると、市町村や療養所の職員、医師らが警察官を伴ってたびたび患者さんのもとを訪れました。そのうち近所に知られるようになり、家族も偏見や差別の対象とされることがあったため、患者さんは自ら療養所に行くより仕方ない状況に追い込まれていったのです。このような状況のもとで、昭和6年(1931年)にすべての患者さんの隔離を目指した「癩予防法(らいよぼうほう)」が成立し、各地に療養所が建設されました。また、各県では無癩県運動という名のもとに、患者さんを見つけ出し療養所に送り込む施策が行われました。保健所の職員が患者さんの自宅を徹底的に消毒し、人里離れた場所に作られた療養所に送られていくという光景が、人々の心の中にハンセン病は恐ろしいというイメージを植え付けて、それが偏見や差別を助長していったのです。

 収容された療養所では、重傷者の看護、眼や手足の不自由な人の介護、そして食事運搬や土工・木工、さらには亡くなった僚友の火葬までも、入所者に強制的にやらせたのです。また、療養所内での結婚の条件として子供が産めない手術を強制されました。こうした措置に不満をもらせば、次々と監禁所に入れられました。群馬県草津にある栗生楽泉園(くりうらくせんえん)には全国のハンセン病患者を対症とした「特別病室」という名の重監房があり、零下20度にもなる極寒の環境下で食事もろくに与えられず、たくさんの人が亡くなったのです。
 昭和28年(1953年)、「癩予防法(らいよぼうほう)」は「らい予防法」として改正されました。この法律の問題点は、患者隔離が継続され、退所規定が設けられていないことでした。つまり、ハンセン病患者は療養所に収容されると、一生そこから出ることが出来なかったのです。昭和21年の特効薬の登場で、ハンセン病は適切に治療すれば治る病気になっていました。にもかかわらず、患者の強制収容が続けられたのです。昭和30年前後から徐々に規制が緩和され、病気が治って自主的に退所する人たちも出てきました。しかし彼らは療養所に入所する際に、社会や家族と断絶させられており、療養所の外では頼る人はなく、救いの手を差し伸べる人も、受け皿もなかったのです。そのような状況の中で、生活苦で体を壊したり、病気を再発させたりして、やむなく療養所に戻る人も少なくありませんでした。


● 隔離政策が終わったのはつい最近の事です!

ハンセン病の歩み 「らい予防法」は平成8年(1996年)にようやく廃止されました。平成10年(1998年)には入所者らによって熊本地裁に国のハンセン病政策の転換が遅れたことなどの責任を問う「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」が提起されました。続いて東京、岡山でも提訴が行われました。 平成13年(2001年)、熊本地裁で原告勝訴の判決が下されました。国はハンセン病問題は早期に全面解決する必要があると判断し、原告の主張を受け入れ、控訴をしませんでした。その後、国は入所者たちにおわびし、新たに補償を行う法律を作り、入所者や社会復帰者たちの名誉回復、社会復帰支援及びハンセン病問題の啓発活動等に取り組んでいます。


● 療養所の現在の状況

ハンセン病療養所全国配置図 療養所に入所したときに、家族に迷惑が及ぶことを心配して本名や戸籍を捨てた人もいるため、現在も故郷に帰ることなく、肉親との再会が果たせない人もいます。療養所で亡くなった人の遺骨の多くが実家のお墓に入れず、各療養所内の納骨堂に納められています。

入所者の人たちには、いられる場所が療養所しかありません。だから今では、療養所は入所者の人たちの大切な場所になっています。


参考資料:「全生病院」を歩くー写された20世紀前半の療養所ー
(国立ハンセン病資料館)
知ってほしいハンセン病のこと。キミは知っているかい?ハンセン病のこと。
(日本科学技術振興財団)
ハンセン病の向こう側
(厚生労働省)