矢沢永吉

 初めて矢沢永吉の曲を聞いたのは、確か中学1年(1978年)の夏、日曜の昼下がり、毎週楽しみにしていたAMラジオの電話リクエストのランキング番組から流れてきた「時間よ止まれ」であった。♪罪な奴さAh PACIFIC 碧く燃える海♪なんて渋く、切ない曲なんだろうと思った。CMソングにもなっていたので、大ヒットした。その時から、矢沢永吉という存在は自分の中で日増しに大きくなっていった。

 中学時代は、事あるごとに、仲間と一緒に夜通し河原でキャンプをしていた。なけなしの小遣いを集めてきて、どこからか鉄板を調達してきて、バーベキュー。夜も更けてくると、誰かがカセットデッキの再生ボタンを押す。流れてくるのは、当然矢沢永吉の曲である。その曲にあわせて、みんなが歌いだす。♪俺たちの出会いを見つめていたのは、甘く苦いウイスキーコーク♪歌声は対岸に響き、木魂になる。

 初めてコンサートに行ったのは、高校2年(1982年)の秋の武道館。周りを見渡すと、リーゼントスタイルで、E.YAZAWAのバスタオルを肩からかけ、並んでいるみんなが矢沢永吉であった。それから5年間ぐらいは、毎年コンサートに通った。コンサートはいつも超満員であった。横浜文化体育館の時は、前から5列目の席で、間近で観ることができ、つばが飛んでくるのがよくわかった。曲の途中での、定番のマイクターン(マイクスタンドを振り回す姿が)がとてもカッコ良かった。

 はじめはカッコ良さに惹かれていたが、それがだんだん生き方に焦点がシフトしてきたのは、自分が20歳を過ぎてからである。矢沢語録なる発言がまた刺激的であった。「いつの時代でもやる奴はやるし、やらない奴はやらないのよ」「プラスの10を得ようとしたら、常にマイナスの10が背中合わせに存在しているんだよ。だから選びなさいと、5がほしいのか10がほしいのか、望まなければマイナスもないよ。だからぼくは選んだ、プラスの10がほしいと!」この潔さがたまらない魅力であり、発言や姿勢にぶれがない。

 巨額の横領事件で被害に遭いながらも、それをはね除ける人間力にはただただ驚嘆するばかりである。仕事で疲れた時や精神的に行き詰まった時は、矢沢永吉のドキュメントビデオやDVDを観てきた。なぜか観ているうちに元気が出てくるから不思議である。「俺もがんばっているんだから、お前もがんばれよ」と言ってくれているような気にさせてくれる。


 今の時代、いや今の自分に、ぶれない潔さが必要であると矢沢永吉は教えてくれている。