1999年8月22日、この日なんの日かわかりますか?「何で私の誕生日知ってるの!」と早合点された方申し訳あり ません。終戦記念日から一週間後のただの日曜日です。この日、何を思ったのか、靖国神社にぶらっと出かけました。

 毎年終戦記念日が近づくと、靖国神社を巡る話題がメディアをにぎわせますよね。首相、閣僚が靖国神社を公式参 拝するとか、しないとか、A級戦犯を他へ移すとか、移さないとか、近隣アジア諸国との関係とか・・・靖国神社っ ていったい何なんでしょう (日本語大辞典によると、明治維新前後から第二次大戦までの、国事に殉じた人々250 万人の霊を祭る。と記されています)。こんな靖国神社に一度行ってみたい、自分の目でどんな所なのか観てみたい、 その場所に立った時に何か感じられるのではないだろうかという欲求にかられ出かけました。敷居が高く、簡単には 入れないんではないかという先入観が、行きたい気持ちを高揚させました。

 当日、日本武道館では、24時間テレビの愛は地球を救うで賑わっていました。その人の群れを尻目に靖国神社への 道を進みました。二つ目の鳥居を目前にしたところで、下乗(げじょう)と書かれた札があり、「お〜ここが靖国神社か」 と辺りを見渡し、大きく背伸びをし、目に映る気になる物を、フィルムにおさめました。

 両脇に飾られた菊の紋章の門をくぐり、神社の境内に入りました。境内は思ったよりも狭く、普通の神社と変わら ない印象をもちました。100円玉を賽銭箱に投じ、戦没者の冥福を祈りました。

 境内の横手には遊就館(ゆうしゅうかん)という、宝物遺品展示館(歴史記念館の様な建物)があり、明治時代から現 在までの、戦没者の遺品や、歴史的建造物、写真等が展示してありました。全部見終わるのに、有に2時間はかかりま した。中でも、昭和20年8月15日(終戦日)の靖国神社境内で泣き崩れる人々の写真には、心を打たれました。

 英霊の言の葉 今日限りの日記 海軍中尉 横須賀上空で戦死

 四月十二日 心は明鏡(めいきょう)、後顧(こうこ)の憂(うれい)は更になけれど、ただ一度父母の顔をみて征きたい。心ゆくまで話して征きたい。しかも、それさへも、もう、かなはぬ。せめて写真でも持っていればよかったのに、・・・俺は親不孝だった。・・・進発まで、時日余裕も少ない。とびとびながら一ヶ年近く北浦の学生生活を綴って来たこの日記も、今日限りにやめることとする。特攻隊員に命名せれて、体当たりするまでの気持ちなんていふものは、と ても筆などにては真を写し切れるものではない。この心境は、かかる経験を有する者のみが味はひうるものとして書くことは止めやう。さらば父母、弟妹よ、師よ、御健康をお祈りします。

 当時23歳の青年が書いた文です。死を目前にし、死ぬ事により責務を全うする者の心情など想像を絶する ばかりで、唯々痛ましいと思うことしかできません。

 物の豊かな平和な時代に生まれ、何不自由なく育ち、まして、死に対する危機感などみじんもなく、自分のやりたい 事を自由に選択できる現代(いま)の日本、現代(いま)の自分。

 しかし、海の向こうでは、痛ましい情勢が今なお続いています。歴史は繰り返すという言葉があります。しかし、 靖国はいつまでもぼくらの先人達を祭る神社として存在してほしいと願います。

 帰りに神社の売店でビールを買って飲みました。ベンチに腰掛けてぼ〜っと辺りを眺めていました。今観てきた物と は、あまりにも対照的なのどかさに、ほっとして安らぎを感じました。


 重なり合う蝉の鳴き声、突然降り出した夕立、軒先を落ちる雨の滴

 夏の日のこんな一日