あれ、下巻が二冊ある!」昨年の暮れ、部屋の掃除をしていた時の事である。
書棚を整理していたら、同じタイトルの本が二冊出てきた。たしか、10年ぐらい前に上中下の三巻を買った新潮文庫の「項羽と劉邦」の下巻である。その後、何度も読みかけては途中であきらめ、それを繰り返しているうちに、見つからなくなり、もう一冊買ったようである。

 掃除の途中で読み始めたら、意外と面白い。面白みが分かる年齢になったのであろうか?気がつくと日も暮れており、部屋の掃除どころではなくなってしまった。
はまってしまったようである。

 町のチンピラ上がりの劉邦がいかにも武将としの資質が高いと思われる項羽との戦いで負けを繰り返しながらも、ついには打ち破り、漢の高祖(初代皇帝の称号)になるという物語に引き込まれてしまった。力だけでは成し遂げられない不思議な人物像について考えさせられた。

 その後、風神の門、梟の城、燃えよ剣、新史太閤記、覇王の家、国盗り物語と読み進めた。それと並行して、司馬遼太郎の書籍を調べた。数が多い事がわかり、思わずにんまりしてしまった。沢山読めると思ったからである。なんだかおもしろいおもちゃを見つけた子供のように楽しくなってきた。そこでどういう順番で読もうかと考えた。内容は大きくわけて、戦国時代の話、幕末の話、明治時代の話、街道の話に分かれるようである。

 まず執筆した年代別、物語の時代別、出版社別を考えた。今まで読んだ本は全て新潮文庫であり、まずは新潮文庫を制覇することに決めた。しかし、有名な「竜馬が行く」や「坂の上の雲」等は文春文庫なので、新潮文庫を制覇しないと読むことができない。早く読みたいと思っているが、それもなんか楽しい。後に取っておくことが自分の中で贅沢のように感じるのである。

 今の時代、巷には物が溢れ、テクノロジーの進歩や情報の氾濫で物事の本質が見えにくくなっているように感じる。司馬遼太郎の歴史小説を読んでいると、余計な物がない時代だけに人物や物事についてわかりやすい。時代に翻弄されそうな自分に幾つもの気づきやヒントを与えてくれそうであり、思考をリセットすることができる。
 その辺りが司馬遼太郎小説に出会った事を楽しんでいる理由のようである。
 
今から秋の夜長を楽しみにしている。