その絵を初めて観た時の感動は今でも忘れられない。それは2004年1月の横浜、東山魁夷展での事。展示フロアの角を曲がり、広いスペースに出た所でそれは圧倒的な存在感で現れた。私は目をむいたままで、しばらくの間立ち尽くしてしまった。
 
 『山雲』・・・奈良の唐招提寺(とうしょうだいじ)を開いた唐(中国)の高僧鑑真和上(がんじんわじょう)に捧げるために描いた御影堂の障壁画(襖絵)1975年完成。鑑真和上は、天平勝宝6年(754年)、聖武天皇の招きに応じ来日するが、決意してから平城京に到達するまで実に12年。しかも度重なる難船や妨害などに遭い、やっとの思いで奈良の都に着いた時にはすでに失明していた。東山魁夷は、そのテーマを、鑑真和上が見ることの出来なかった「日本の美しい山と海」に決め、『山雲』(雨上がりの山の頂きを霧が晴れていく情景)と『濤声』(波の音の意)を第一期唐招提寺障壁画として制作した。

 私は奥多摩町の出身であり、杉の花粉で悪名高い、四方を山に囲まれた、良く言えば自然豊かな清流の町。悪く言えば周りに何もない不便な田舎町で育った。日曜日になると観光客で人口は10倍に膨れ上がった。小学生の頃は、近所のガキ大将に時には可愛がられ、時にはいじめられながら、山登りや川遊びに明け暮れていた。中学生になると、親に何かと理由をつけては、仲間と一緒に夜通し川原でキャンプをしていた。山の天気は変わりやすく、雨が降ると外で遊べないので、雨上がりを待ち遠しく思ったものである。

『山雲』を観た瞬間に、その幼い頃の情景が一気に蘇ってきた。雨上がりの爽やかな身体の感覚、晴れ上がる霧と姿を現す山の頂きの幻想的なコントラスト、足下から伝わるやわらかい土の匂いとそれを吸い込む為の深い呼吸、待ちわびて開放された遊びたい気持ち。それらは五感を通して培ってきた心にきざまれた景色であった。それ以来『山雲』は、自分の心の奥に深く溶け込んでいるようである。

 2008年4月の東京。「東山魁夷展〜生誕100年〜」『山雲』との再会を楽しみにして出掛けたが、残念ながら再会は叶わなかった。そのかわり、東山魁夷の心の世界を沢山観ることができた。気が付くと、なぜか深い青と緑の山の構図の絵の前では立ち止まっている。

 近いうちに、子供の頃に遊んだ奥多摩の山を歩いてみようと思っている。