茗荷

 普段はかみさんまかせで調理などほとんどしないが、日曜日の朝はなるべく作るようにしている。というか担当のようである。作ると言ってもたいした事はなく、ほとんどワンパターンの食事である。ご飯を炊いて、魚を焼き、みそ汁を作り、納豆を準備する程度である。

茗荷 米は生協で配達してくれる無洗米を一度ゆすぐ程度で炊飯。二人暮らしであるが4合炊き、残りは冷凍にする。みそ汁の具はだいたい大根で、拍子切りにして油揚げを入れる。とくにこだわりがあるわけではないが、味噌は麦味噌が美味しいと思い長年使っている。魚はあじの開きが多いがシャケの時もある。脂ののったあじに当たった時は至福の喜びである。納豆は好物なので、常に冷蔵庫に入っている。薬味はだいたいネギが多いが、その時の気分によって 茗荷(みょうが)、シソ、生姜、三つ葉、オクラなどを使い分ける。

 薬味のおかげで量が増えると、かき混ぜ甲斐がありなんか嬉しくなってくる。しかし、最近の野菜の高騰で嬉しさは半減している。

 茗荷は子供の頃はとても嫌いだった。なぜか、実家の畑で父親が茗荷を作っていたので、しばしば食卓に登場した。その度に顔をしかめながら食べていた。小学生の頃は休みになるとよく茗荷採りをさせられた。「畑に10円玉が落ちていると思って採れ」と良く言われたが、自分の懐に入るわけでもなく、小遣いが増えるわけでもない、しかも嫌いな食べ物なので、なんでこんな物をと思いながら、いやいやさせられていた事を思い出す。

 茗荷の他にも、春菊、らっきょう、マーマレード、食べ過ぎて自家中毒の起因になったと思われる大福のつぶあんが嫌いだった。春菊に至っては匂いを嗅いだだけで気持ちが悪くなった。夕飯がすき焼きの時は“春菊のないすき焼きなんてすき焼きではない”というような雰囲気が食卓に漂っており、とても憂鬱だった。

 子供の頃に嫌いであったこれらの食べ物であるが、最近はらっきょう以外は克服している。しかも今では茗荷は好物である。実家ではまだ茗荷を作っており、先日は、茗荷の実から花が咲いていた。ここ数年は父親が身体を悪くして畑仕事がだんだんできなくなっており、畑は荒れてきている。

抱き茗荷 茗荷以外にも梅やキウイフルーツ等を作っている。そろそろ畑仕事をこちらでやらなければならないなぁと思いながら、先日実家に帰り仏壇に線香をあげていたら、丸いマークのような物を発見した。これは何かと聞くと、「抱き茗荷といって、うちの家の家紋だよ」と父親が教えてくれた。

 茗荷に縁があるなぁと思いながら、子供の頃は顔をしかめていたおふくろの茗荷のみそ汁に、舌鼓がうてるようになった今年の神無月の初めの出来事である。