あれは忘れもしない1999年11月3日文化の日の朝。いつもの様にゆるみがちな排便を済ました 後の事、からすの行水のようなウオシュレットを済ませ、ティッシュペーパーを肛門に押し当てると、「あれっ!」なんか肛門の後ろの辺りに妙な膨らみを感じ、一瞬顔をしかめた。これがマカロニの存在を知った最初の日の朝であった。

 それからというもの、マカロニは肛門周囲に色々な顔をのぞかせた。焦熱感・ 疼痛感・掻痒感・ひきつり感・冷感・・・それに対して、私もおもいっきりの不快感で応戦したが、それは年明けの排便後のウオシュレットの刺激による出血という形であっけなく勝負はついた。痛みの強い時は、薬局で買った座薬を挿入した。そのまま入れたら痛いと思い、すべりを良くしようと、口で舐めてから入れたところ、口がしびれてきた。歯医者の麻酔と同じ薬が塗ってあったようだ。「医療従事者のやることとは思えないね」と同僚にからかわれた。 後輩は、「うちのお袋もそうなんで、仲良く付き合ったほうがいいですよ」と付きあいの長さを悟らせながら、慰めの言葉をかけてくれた。仲の良い外科医からは「なんだったら診てあげるよ、癌かもしれないからね」とビビらされた。西武線の駅のホームに、肛門病院のでっかい看板を目にして、電話番号を暗証したが、いつの間にか痛みが治まり、肛門の後ろの膨らみだけは感じられる冷戦状態となった。

 そんなこんなで夏が訪れ、かねてから計画していた富士登山を、今年こそはと思い、その足慣らしに御岳山から大岳山を経由して奥多摩に抜けるルートを歩いた。足慣らしのつもりが、下りで足がガクガクになり震えがとまらなくなってしまった。下山したときにはもうへろへろであった。その翌週に計画していた富士登山は、今もお蔵入り状態である。ところがなんと、今まで冷戦状態であったマカロニの膨らみがすっかり消えているではないか。翌日職場で、山に登ったら肛門の後ろの膨らみが無くなったことを皆に話し、登山療法だとか、気圧の関係だとか得意になって話した。「どうせまたすぐでてくるわよ!」という言葉に耳を傾けるような私ではなかった。

 いつの間にかマカロニの存在も忘れ去られ、翌年の文化の日も気付かぬ間に過ぎ去り、11月も中旬を過ぎたころ、朝のトイレで、文頭と同じ光景に再び遭遇した。ショックだった。今回は前回に比べて痛みも腫れも強い。西武線の駅のでっかい看板が脳裏に蘇ってきた。悩んでいても解決しないので、意を決して肛門病院に診察に出かけた。

 名前を呼ばれ診察室に入ると、椅子も机もない。あるのは診察用のベットと、それに上がる為の足台だけである。戸惑っていると、看護婦が忙しそうにやって来て、「ズボンと下着を下ろして横向きになって下さい」とせかすように言う。「いきなりかよ!」と思いながら横になる。医師がやって来て、「どうしました?」と背中越しに声を掛ける。私も首だけ振り返るように背中越しに答える。なんか滑稽なやり取りである。

 「一週間ぐらい前から、肛門の後ろに膨らみを感じるようになり・・・・・」と経過を話し始めた。医師は私のいたいけな肛門を診ながら、「これは痛いでしょ。痔瘻ですよ。化膿しているので、切開して膿を出しましょう」と言った。私は、「一年ぐらい前に、初めて膨らみを感じたんですけど、その時は治っちゃったみたいなんですよね」と言うと、「それは治ったんじゃなくて、膿が破れたんですよ」と言われた。ウオシュレットの刺激による出血がそれだったようだ。「何日か前に大酒を飲んだんですよね」と言ったところ、「大酒は関係ないんだよね〜その後に良く下痢するでしょ。下痢する人に多いんだよね〜痔瘻は」と言われた。おっしゃる通り私は下痢症であった。「痔瘻はね手術しないと治らないんだよね。放っておくとまた化膿してくるし、癌になる可能性があるからね。まだそんなにひどくないから、夏休みでも利用して手術しちゃったほうが良いよ。入院はだいたい7日から10日くらいだね」と言われた。ラッキーな事に、12月いっぱいで職場を退職することになっているので、12月に入ればもう有給休暇である。今年中にケリをつけて、さっぱりした気持ちで21世紀を迎えたかったので、「今年中にお願いします」と即座に答えた。さすが肛門専門病院だけあって、しかも年末ということも重なり、入院予約は一杯であった。6人部屋には入れず、しょうがないので差額のかかる2人部屋を予約した。

 12月17日入院当日、緊張感と不安感を引きずりつつ病院へ向かった。看護婦に病室を案内され、院内の説明を受けた。同室は70歳過ぎの年配の方であった。「昨日手術をした○○さんです」「今日入院の船橋さんです。○○さんよろしくお願いしますね」と看護婦の仲介で挨拶をかわした。

 病室の前は、広い談話室になっており、窓は一面ガラス張りでとても開放的な雰囲気であった。その日は日曜日ということもあって、面会者が沢山来ており、賑わっていた。周りの様子を見ながら立っていると、7〜8人いる入院患者の中の大将(以下大将と記す)っぽい一人が、面会に来た子供をあやしながら、「こっちに来なよ、どうせすぐ慣れてずっとここにいるようになるんだから」と声を掛けてくれた。椅子を空けてもらい、腰を無造作に下ろすと「今のうちだけだ よ、そんなドスンと椅子に座れるのも」と向いに座っている気のよさそうな中年の男性が笑いながら話しかけてきた。ふと周りの人の座っている椅子に目を向けると、それぞれが、円座という真ん中に穴の空いたドーナツ型の座布団を腰の下に敷いていた。「手術の後は、痛くて椅子にべたっと座れないんだから」と言いながら、「これは手放せないよ」と自分の敷いている円座を見せてくれた。「そんなに痛いんですか?」と聞くと、私の左隣に座っていたいかりや長介(以下長介と記す)に似たおじさんが「そりゃ痛いよ!」と吐き捨てるように言ってきた。その言いぐさに一瞬ひるんでいると、先程の気のよさそうな中年の男性が「そんなに脅かさなくてもいいじゃない」と言ってくれた。長介は続けざまに「おたくはいったい何の痔だい?」「痔瘻です 」と言うと、「痔瘻が多いなぁ」「俺の見るかぎり男の7割ぐらいは痔瘻だな」「おれも痔瘻なんだけど、今回で3回目の入院だよ」「えっ痔瘻ってそんなに再発するんですか?」と驚いていると 、「痔瘻って言うのはなぁ・・・・」と語り始めた。周りの人は、「また始まったよ」という顔で見ている。長介はおかまいなく語り続ける「肛門の出口の近くにはなぁ、7個か8個穴があるら しいんだよ、その穴は普段は何ともないんだけど、下痢を繰り返しているとな、そこから穴の中にバイキンが入ってな、肛門とは別に道ができちまうんだよ。そこに膿がたまって腫れてくるんだよ」。「あんたも腫れて痛かっただろ、膿抜いてもらうと楽になんだよな」痔瘻談議はまだまだ続く、「腫れたのは何ヶ所だ」「肛門のすぐ後ろの一ヶ所です」「そりゃ一番軽いやつだ、痔瘻はほっとくとよ、道が枝分かれしちまうんだよ、そうなると手術が大変なんだよ、傷の穴も増えるしな、手術して採っちまうとそこにはもうできねえんだけど、他の穴にできちまうんだよ。 俺なんか3回も手術してんだからケツの周りは傷だらけだよ。あと、道がきんたまの方に伸びてくると命取りなんだよ、まったく怖いな、こればっかりは、どっちに行くかわかんねえからな」そこで、最初に声を掛けてくれた大将が、手術で採った痔瘻を記念にプラスチックの瓶に詰めてもらっているのを見せてくれた。生理食塩水に浸してあるので、組織が膨張しており、かなりグロ テスクであった。「ふやけているから良くわからないね」というと、長介がすかさず「この中が管になってんだよ、あれだ、マカロニ、マカロニにそっくりだ」と言った。

 長介の痔瘻談議はその後も続いていたが、入院患者は、色々な年齢層がおり、20代・30代の人の率もかなり高かった。手術を終えた人達はみんな明るく、肛門専門病院のため、みんなが同じような病気なので、若い女性だろうと、あまり羞恥心を感じなくなっている様な雰囲気であった。笑いが絶えず、笑いながら、眉間にしわを寄せて、口を半開きにしながら、片方の尻を上げて痛 がっている動作がとても滑稽であった。おかげで、手術前の緊張感が大分解消された。

 その晩は、夕方から絶食であった。明日の手術に備え、下剤を飲み、浣腸をされた。手術の前に大腸の検査をすることになっているので、下剤は2リットルあり、とても飲み辛く、もともと下痢症なので、かなり激しく下痢をしていた。もう十分だと思い、途中で洗面所に捨ててしまった。

 大腸の検査というのは、先端にCCDカメラのついた管を肛門から入れて、通常大腸の終わり、 小腸との境目の盲腸のある周辺までを観察する内視鏡検査の事である。以前、内視鏡室で医師の介助をしていたことがあるので、その検査の辛さは十二分に分かっていた。下剤は飲み辛く、便秘がちで大腸の長い人の検査に付いた時の苦悶の表情を見ていると、「これだけはやりたくないなぁ」とかねてから思っていた。でも、まあこんな機会でもないと検査をすることもないし、先日父親が、大腸検査でポリープが4個見つかり、内視鏡的に切除したことを思い出し、親子だから私もやっとかなきゃあと言い聞かせたが、その晩は、なかなか寝つけなかった。

 手術当日、「今日は、検査と手術両方あるので、忙しいですよ」と看護婦に言われ、せかされるように、大腸検査室に足を運んだ。若い医師が待ちかまえており、管の先端に痛み止めのゼリーを塗って検査開始。肛門への挿入は、痛み止めの座薬を何度も入れていたので、慣れているつもりでいたが、今回はものが違う。空気を入れて腸菅を膨らませながらいくので、かなりお腹が張ってくる。でも自制内であった。問題は腸の曲がり角だなと思った瞬間、その曲がり角に達した。かなりの圧迫感と何とも言えない不快な重い鈍痛。「うっ」と思わず声を上げてしまった。「痛いですか?」「はっはっはい」なんと弱々しい声だろう。その後、何度か痛みの頂点を繰り返しながら、ゴ〜ル。テレビモニターに写る自分の腸内を、医師と一緒に観察するように管が引き抜かれてきた。余裕が出てきたのか、「痔瘻の穴は見えるんですか?」と質問した。「今は炎症がないからわからないね」と言いながら、医師が管を完全に抜いた。「特に異常無いですね」と言われた。ほっとする間もなく、部屋に戻って手術の準備。トイレに行って、着替えを済ませて、点滴、「さぁ行きましょう」看護婦が迎えに来た。なんという慌ただしさ。部屋を出ると談話室のみんなが「いってらっしゃい」と声を掛けてくれた。「いってきま〜す」慌ただしさがそうさせるのか、から元気なのか、かなり威勢が良い受け答えをしていた。

 徒歩で手術室に到着。前の人がストレッチャーで運び出されると同時に入室。中は結構暖かい。「とうとう来ちゃったよ」と考える間もなく手術開始。手術台の上に座ったまま腰椎に麻酔を打たれる。しばらく医師と雑談し、ころ合いを見計らってうつ伏せになる。体位はいわゆるジャッ クナイフ型。腰を起点に両足が斜めに下がる形。例えるなら、プールに飛び込むときに、腰が引けて腹打ちする人の空中での姿勢の様な状態である。「じゃあはじめますよ」と言う医師の声に 、「あっ先生!採ったの見せて下さいね」「はいっ、見せながら説明しますよ」のやりとりに、介助についていた2人の看護婦がなぜか「クスッ」と笑う。 手術は30分弱で終了。手術中麻酔の影響か、下っ腹がず〜と痛かった。医師が切除した組織を見せながら、「これが痔瘻ですよ」痔瘻の管の中に針金を通して説明してくれた。長介の言った通り、 まさしくマカロニである。しかも、トマトベースのミラノ風であった。「小さなイボ痔が4つありましたから、念のために採っておきました」と言われた。その後ストレッチャーに乗せられ、また慌ただしく退室。出口には次の患者が待っていた。

 手術の後は8時間起きられない。8時間経過したら、看護婦を呼び、トイレに付き添ってもらうよう言われる。くれぐれも1人で行かないよう念をおされる。そんな大丈夫だよと思いながらも、身体はかなりへろへろである。看護婦を呼び、トイレに行こうと起き上がるがうまく起きれない。 麻酔がかなり効いていることを実感する。トイレに行ってそのまま朝までぐっすりふて寝。

 翌日、目覚め良く起床。体調もかなり良い。肛門は多少痛むが大したことはない。朝食を済ませ部屋を出ると、談話室のみんなが「元気じゃない」と驚いた様子。「痛くないの?昨日手術したとは思えないね」と個室に入院している中年の男性(以下ブルジョアと記す)が円座を胸にかかえながら近づいてきた。ほんとうに大したことないので、「多少痛みますけどね」とそのまま椅子に腰掛けた。今度は、「よくそのまま座れるね!」とかかえている円座をぎゅっと抱きしめた。「痛いのはうんこが出てからだよ、俺も最初は痛くなかったから」と大将が言う。続いて長介が、「うんこが硬くなってくると痛えんだよ」と念を押す。ブルジョアが「排便の時間を見越して、痛み止めを飲んどくと痛くないよ」と教えてくれた。

 その日の夕方、手術後初めての排便があった。手術前は絶食に下剤、浣腸だったので、水様の物が出ただけで、痛みはあまりなかった。

 手術後2日目、今日から風呂に入れる。入浴は午後1時頃からである。風呂場は1人用の浴槽が5つ、窓に面してL型に配置されており、中央が洗い場になっている。入り終わるとそれぞれきれいに洗い流して、次の人の為にお湯をためるルールである。大浴場をイメージしていたので、 5人がそれぞれ浴槽に入って頭だけ出している風景は滑稽である。それぞれが肛門に傷を持っているので、衛生面や感染面を考えると当然な事である。

  部屋の前の談話室では消灯の9時まで、大将を中心にかなりうるさい状態。先週まで入院して いた私と入れ替わりに退院した2人の男性がかなり面白かったらしく、それを大将が引き継いだ形になり、みんなを楽しませようと躍起になっているらしい。 自分としては、ついこの間まで病院に勤めていたので、「どこにでもいるんだよなああいう患者は」と医療従事者の立場から傍観していた。かといって模範的な患者ではなく、病衣を着るのが 病人ぽくていやなので、ジャージを着ていたところ、看護婦に何度となく注意を受けていた。

 当初、7日から10日の入院ということで、入院期間をどのように過ごそうかと入院前から考えていた。職場を退職したので、これからの事を考えるには良い休養だと思っていた。読みたい本も6冊ほど本屋に行ってあさってきていたが、結局読んだのは、「ハンニバル」の上巻一冊だけであり、この先のことも具体的に考えるには至らなかった。時間が有りすぎて、集中力を持続させるのが困難な精神状態であった。 気がつくと、いつの間にか談話室の輪に入っていた。

 ここで入院中の一日の生活模様を紹介しよう。朝6時に検温、寝ぼけながら体温計をわきの下に挟む。7時過ぎ朝食、パン・サラダ・ゆで卵・紅茶・と退院するまで毎日同じであった。サラダのニンジンの代わりに、ハムがのっていたときは話題になった。食後談話室で一服。たばこはやめていたが、少し前からまた吸い始めるようになっていた。9時半過ぎから点滴、抗生剤ともう一本の計2本を40分ぐらいかけて注入する。終わって談話室に行くと、だいたい長介がたばこを吸っている。「なんでそんなに早いのよ」と聞くと、「看護婦が行っちまったらよ、あのぽたぽたたれてるのを全開にしちまうんだよ」「そうすると、早く終わるんだよ」と得意げであった。「そんな全開にして気持ち悪くなったりしないの!」と聞くと、なんでだ?とでも言うようにけげんな顔をした。でも後日、常習犯なのが看護婦にばれ、調整するクレンメを手の届かない高い位置にされたと文句をいっていた。

 11時過ぎ昼食、たいして動いていないので腹も減らない。なんか義務感で食べているようなものである。その後談話室で一服。1時過ぎから入浴、案の定、大将と長介は常に一番風呂に入っていた。傷口にはガーゼ2〜3枚を重ねそれにムース状の化膿止めの薬を付けたものを、紙テープで固定し、その上をT時帯というふんどしみたいな物で抑える。手術後は出血と黄色っぽい浸出液がかなり出るので、すぐに汚れてしまう。日に何回も交換するので、尻に紙テープの切れ端をくっつけたまま風呂に入る人もいる。指さして笑っていると、後ろから笑い声がする。振り返ると、自分も指をさされていた。

 2時過ぎから外来に降りて診察、痔瘻の穴が外側から閉じてしまわないように、傷口に空気をシュッと入れられる。「はぁ!」と思わず声を上げそうになる。診察の後、また談話室。4時過ぎ夕食、こんな時間に夕飯を食べるなんて、日常ではありえないと思いながら、口に食べ物を運ぶ。 食後談話室。6時に検温でまた談話室。9時消灯、当然こんな早い時間に寝れるわけもなく、部屋でテレビを観たり、本を読んだりしながら、夜中まで過ごす。とまぁざっとこんな一日を繰り返していた。肛門専門病院ならではの光景ではないかと思われる。

 手術後3日目になると、排便がだんだん硬くなってきた。その分痛みも増してきたので、便器に座りながら、周りの壁を両手で抑えながら、少し腰を浮かす状態で恐る恐る排便をする動作が続いた。排便はいきなり来るので、ブルジョアが教えてくれたように、上手く痛み止めを飲むタイミングをつかむ事ができなかった。痛みの為、排便後は少しの間身体が固まった状態で痛みをこらえた。逆に、同室の方は、排便がでない苦しみを味わっていた。浣腸をしても出ない状態が退院の前日まで続いていた。

 周りのみんなに聞くと、入院期間はだいたいが9日間であった。17日の入院なので、普通であれば25日のクリスマスに退院である。診察の時に「退院の日をそろそろ決めましょうか」と医師に言われたので、すかさず「先生、24日はどうでしょうか」と一日早い日にちを先手を打って口にした。医師は少し考えてから、「いいですよ」と返答した。入院生活にも飽きていたので、しかも一日も早く、しゃばの空気を吸いたかったので、ほっとした。退院の日が決まったのを長介に報告すると、長介が、「前に入院してた時にな、俺より先に退院した奴がいてな、退院の日にそいつが退院祝いだっていって、ここでビール飲んで帰ったんだよ」。「そしたらな、駅についたら出血してもう血だらけよ。とんぼ返りして来てま〜た入院だよ。全くば〜かな奴がいたもんだよ」。とすっぱい顔をして言い捨てた。「それってもしかして、自分の事じゃないの」と言うと、「ば〜か言ってんじゃねえよ、酒はな手術の日から3週間は飲んじゃいけねえんだよ。俺は真っ先に先生に聞いたんだから。看護婦にも言われたぞ、ビールも酒ですからねってよ。でもよ、これから退院すると、すぐ正月だろ、正月に酒飲めねえのは辛いなあ。」と顔をしわくちゃにゆがめながら嘆いていた。その辛さには私も同感であった。

 入院の事は誰にも言ってなかったので、看護婦の目を盗んで、部屋で仲の良い友達に携帯をかけた。「今入院してんだよ」と言うと、「えっどうしたの!」とびっくりした様子。「痔で手術したんだよ」と言うと、「ガハハハハハッ」といきなり笑い。「悩んでたんだね」と慰めの言葉。すかさず、「さあ問題です。さて、痔と言ってもいったいなに痔でしょうか?一番イボ痔、二番切れ痔、三番痔瘻」と質問すると、「わかった!オヤジ」と即答。しゃばの空気が恋しいせいか、大笑いしてしまう自分がとても悲しかった。

 入院生活も後半になると、大将が退院し、次に長介が、ブルジョアがと順に退院していった 。長介が退院するときに、「3回も入院してんだから、もういい加減打ち止めにしたら」と励ましのつもりで声をかけた。長介は「そうだなぁ、もうたくさんだ!あんたも先が長いんだから、ここでまた会う事がないようにな」と別れの挨拶を交した。

 病院内がだんだん淋しくなってきたと思うのもつかの間。入れ替わりに新しい人が続々と入院してきた。この年末に手術が集中しているので、病院にしてみればかきいれ時である。自分が手術した日は、4人だった手術患者の数も、「今日は11人いるのよ」と看護婦が小走りで忙しそうに通りすぎる。正月休みに有給を重ねて入院する人が多いようだ。

 12月24日退院当日、目覚めると、外は冬晴れの心地よさそうな陽気である。午前9時、みんなに別れの挨拶をして、外来の待合室で痔の説明のパネルを写真にとり、病院を後にした。 表にでると、久しぶりのしゃばの空気はすがすがしく、冷たい北風にいくぶん身を震わせた。病院の建物を感慨深げに何度も振り返り、どこからともなく聞こえるクリスマスソング に口笛をあわせながら家路についた。

 これで、私の闘病日誌マカロニは終了するが、続編ができないことを祈りつつも、長介の別れの言葉が脳裏をよぎっていた。

-to be continued-  いやいや縁起でもない

          あらためて -END-