くもの糸

 幼い頃から、脳裏に焼きついて、事あるごとに浮かんでくる、とても気になる情景がいくつかある。例えば、小さな男の子が、雪の上で寒さをこらえながら、誰かを待っている情景。車が通り過ぎ、後部座席に乗っている男性が、こちらを見ながら不敵な笑みを浮かべている情景。洞窟の中を、細いロープのような物にぶら下がってのぼろうとしている人と、その下に沢山の人が群がっている絵の情景。

 どの情景も、とても不安な気持ちにさせられた事を、子供心に覚えている。でも、それらの情景は、大人になるにつれて、浮かばなくなっていった。

 昨年、「聞いて楽しむ日本の名作」というCDを購入した。著名人が、それぞれの作品を朗読しており、味わい深いなぁと思いながら楽しんでいた。その中で、昨年は「家政婦のミタ」が話題になったが、元祖「家政婦は見た」の市原悦子の朗読を聞いた。聞いているうちに、幼い頃から脳裏に焼きついていた情景が蘇ってきた。「あ〜あの洞窟の中の情景はこれだったんだ!」と気がついた。それは、芥川龍之介の「くもの糸」の一場面であった。

 カンダタくもの糸:極楽は朝、はす池のふちを歩いていたお釈迦様が、はすの葉の間から、地獄の底を見ると、カンダタ(?陀多)という罪人が目にとまる。大泥棒であるが、くもを殺さずに助けたのをお釈迦様が思い出し、できるなら地獄から救い出してやろうと、くもの糸を地獄の底へ垂らす。カンダタは喜んでのぼりはじめる。気がつくと、下から、数かぎりない罪人がアリの行列のようにのぼってくる。カンダタはおどろき、「こら、罪人ども。このくもの糸はおれのものだぞ。おまえたちは一体、だれに聞いてのぼって来た。下りろ。下りろ」とわめいた。囚人 その瞬間に糸がカンダタのぶらさがっている所から切れてしまい、闇の底へまっさかさまに落ちてしまう。お釈迦様は、自分ばかりが地獄から抜け出そうとする、無慈悲な心が、その心相当の罰をうけて、もとの地獄へ落ちてしまう事を浅ましく思われたのか、悲しそうな顔をしながらまた歩き始める。しかし、極楽のはす池のはすは少しもそんな事にはとんじゃくしない。極楽はもう昼近くになったのでございましょう。(概要抜粋)

 お釈迦様朗読を聞いてみて、「カンダタは何で下りろ、下りろって言ってしまったんだろう。言わなければ良かったのに〜」という幼い頃の感情も一緒に蘇った。でも、この情景は絵の記憶として残っている。自分はどこでその絵を見たのだろう。インターネットで調べてみると、「くもの糸」に絵本があることがわかった。ということは、幼い頃に誰かに絵本を読んでもらったのかもしれない。年明けに、桜ヶ丘図書館へ行き、くもの糸の絵本について聞いてみた。中央図書館に置いてあるとの事ですぐに借りに行った。

 念願の絵本を目の前にした。私が見たのはたぶん40年ぐらい前なので、絵のイメージは若干違うが、情景の世界観は記憶と一致していた。一回読んでみた。そうしたら誰かに読んでもらいたくなった。かみさんに読んでもらうのはなんか違う。

 「そうだ、市原悦子に読んでもらえば良いんだ。」と思いついた。朗読の内容と絵本に書いてある内容は全く同じである。市原悦子の朗読を聞きながら絵本をめくってみた。すると、幼い頃のドキドキした感覚が蘇ってきて、心が動かされた。同時に、長い間の謎が解決したようなスッキリとした気持ちになった。

 年の始めに、なつかしい至福の時間を過ごす事が出来て、心が少し豊かになったような気がする。