いつか風になる日

 なぜに〜かげろうは〜ゆらめいて〜黄泉(よみ)へと〜いざなう〜澪標(みおつくし)か〜遥か〜紺碧の〜空と海〜すべてを〜のみ込む〜あの〜蒼さよ〜・・・」イントロの三線に心地よさを感じていると、独特の歌声の質感に包み込まれるような感覚を覚え、心がなぐさめられる。奄美大島出身の元ちとせの「いつか風になる日」という歌を聴くといつも感じる感覚である。その独特の声の響きと何物にも俗されない本物の存在感に魅了される。生の歌声が聴きたくて、かみさんを誘って2度ほどコンサートに足を運んでいる。

赤とんぼこの「いつか風になる日」は、かつて奄美大島で行われていた風葬をモチーフにして作られたものと言われている。昔の南西諸島一帯は洞窟を利用した共同墓が多く、古代から中世にかけて、島の人たちが海の見える海岸の洞窟を墓として利用していた。洞窟の墓=風葬墓のことを人々はトウール墓と呼んでいた(天に通じる場所という意味)。奄美本島ではトフル墓と呼ばれていて、丘の斜面に横穴を掘り、内部に集団埋葬していた。各家々の墓ができたのは、薩摩藩政時代〜明治になってからであった。風葬から土葬に移行したのは、衛生上の問題で、明治35年に、県警からの強制命令があり、それ以降は土葬、火葬に変遷していった。奄美群島の墓の歴史によると、昔は死者を会葬後、いったん土葬し、数年が経ってから遺骨を掘り起こし、洗骨してから海岸の洞窟に瓶を置き、その中に身内の骨を入れるという習慣だった。亡骸は自然に帰すという考え方に基づいているそうである。

 歌詞の内容も、「果てしない輪廻を彷徨えるのなら」とか「数多の生命が誕生れ逝くの」とか、まさしく、生死に関する内容である。

 三年前に私の父親が他界した。実家の奥多摩町の老人ホームに併設された診療所で最期を迎えた。私は喪服を持参していなかったので、自宅へ取りに帰る車の中で、なぜか「いつか風になる日」を繰り返し聞いた。動揺した気持ちがなぐさめられて、落ち着いていくのを感じた。

亡くなる前のお彼岸に一緒に墓参りに行った。墓は実家の裏手の小高い丘の上にあり、そこから多摩川の対岸が見渡せる。ケイトウ父親は先祖をとても大切にし、信心深い人であった。
元気なころに自分で作り直した墓は自慢であった。その墓の入り口に座り、病気ですっかり痩せてしまった身体を母親に支えてもらいながら、「風が吹いて気持ちがいいなぁ〜」と話していた表情がとても印象的であった。

10月の初旬は父親の命日である。

今年も父親を悼みながら「いつか風になる日」になぐさめられている。