桜街道駅から多摩センター行きのモノレールに乗り、進行方向右側の席に座る。車窓から西側の景色を眺めると、天気の良い日は一面雪化粧をほどこした富士山がとても綺麗である。立川まで10分程であるが、気持ちの良い時間を過ごす事ができる。

 「よ〜しそのまま前傾でテンションをかけたまま!富士山へ向かって思いっきり走れ〜!」パラグライダースクールのインストラクターの声が南東の風を受けて、尾根に響き渡る。私は必死で富士山に向かって突っ走る。もうこれ以上前傾になれないと思った瞬間、足が宙に浮き出す。でもまだ安心はできない。しばし前傾を続けながら体勢を整え、極度の緊張の中なんとか離陸。地上400m、初めて飛んだ時は身震いがした。景色を眺める余裕など当然なかった。

 「鳥の視線からの景色が観たくて」、もうかれこれ10年ぐらい前になるが、富士山の北側、河口湖の北岸にあるパラグライダースクールに通っていた。(結局ライセンス獲得には至らず、現在は通っていない)サーマルと呼ばれる上昇気流に上手く乗れると、身体がフワ〜っと持ち上げられる。風にあおられながら、ブレークコードと呼ばれる左右のコードを両手で何とか操作し、体重移動を繰り返しながら、とんびをまねて円を描く。1000m以上上昇すると、そこはもう快感と恐怖感が表裏一体となった別世界であった。鳥の視線から観る富士山は絶景であり、尾根の北側の眼下に甲府盆地を望んだ時はとても感動した。

 非日常的な空間の中で心は大いに動かされる。まして、回りに何もない大空の一点に置かれた状況のもと、大自然の中で無力な自分の存在を現実として突きつけられる。
すると、心はおのずと裸にされ、素直になっていく。明鏡止水 ( めいきょうしすい) (くもりのない鏡と波立たない静かな水の意。心にやましい点がなく、澄みきっていること。)という言葉があるが、まさしく大自然の中で、いやおう無く鏡に映し出されてしまった自分の素の心にやましさの入り込む余裕はない。

 日常生活の中でも、心は大いに動かされる。大自然の中で無力で素直な存在であった自分の心が、日々の暮らしの中では存在感を増してくる。そして、手を変え品を変え、色々な事を仕掛けてくる。先入観、猜疑心、慢心、打算、不安、焦燥、逃避、数えたらきりがない。こちらも、発想の転換、仕切りなおし、リフレッシュ等で応戦するが、らちが明かない時がある。

そんな時は富士山を見て素直な心を思い出す。そして、自分に言い聞かせる。

心こそ心迷わす心なれ 心に心 心許すな